サマリア渓谷行

渓谷入り口。「サマリア国立公園」と書いてある。

1998年6月,日本から友人が訪ねてきたのを機会に,かねてからの念願であったサマリア渓谷行きを実現した。クレタ島西部のレフカ・オリ山塊からリビア海沿岸に向けて,長期にわたる雨による侵食で深い谷間が刻まれた。ギリシャは印象的な天然の造形に富む国であるが,その中でもこの渓谷は特に名高く,毎年ヨーロッパから多くの観光客が訪れる。現地でハイキング・ツアーに参加することも可能なので,旅行計画を立てるのは何の造作もない。しかし,18kmの距離を5,6時間かけて歩くとなると連れがいた方がいいだろうと考えて,この場所は残しておいたのである。

ハニア

友人とその連れ1名は日曜日の午後2時半にアテネ空港に着く予定であったので,同日午後9時出港のフェリーの船室を予約しておいた。船賃は1人5,500円弱。ほとんど船は揺れず,船内もきれいで,なかなか快適な旅であった(LATO ANEK LINES)。翌日午前6時ごろ,クレタ島西部北岸のスーダ港に着き,タクシーで宿泊地ハニアに向かった(約1000円。バスも利用可能)。

アギア・トリアダ修道院 アギア・トリアダ修道院(背後から) いつもの一人旅ではCクラスかDクラスのホテルを探すが,今回はトリプル・ルームの料金を頭割りできるので,Aクラスのホテルをおごることにした(ホテル・キドン,1泊約9,500円)。比較的最近建てられたホテルのようである。内装がぴかぴかしているのは気持ちのよいものだ。到着時に「ダブル・ベッド+エクストラ・ベッド」という部屋に案内されたという点とバスルームに湯船がなかったという点を除けば,なかなかの満足度。テレビ・空調付き。もっと情緒があるところに泊まりたい(ついでに倹約したい)という方は,考古学博物館の北側周辺に蝟集する「Rooms for rent」を試してみるとよい。

ヴェニゼロスの墓 月曜日はハニア市内と周辺の観光に充てた。まず,午前中はタクシーでアクロティリ半島一周ドライブ。運賃は前もって交渉する。我々の場合は3500円弱であった。クレタ島出身の政治家ヴェニゼロスの墓とアギア・トリアダ修道院に寄り,30分ずつ待ってもらう。走行距離は20km強というところか。ヴェニゼロスの墓は空港に向かう道の途中にありバスでも行けるが,アギア・トリアダ修道院へ行くには観光ツアーに参加するか我々のようにタクシーをチャーターする必要がある。ヴェニゼロスは私の研究テーマに関して最も重要な人物の一人。今回の旅行の隠れた重要目的が彼の墓参りであった。

ハニア旧市街にある見晴らしのよいカフェ ハニア(現地式の発音では「ハニャー」)の現在の街並みは,第4回十字軍(1204)に始まるヴェネツィア支配時代にその骨格が作られた。港は「エネティコ・リマーニ」と呼ばれているが,エネティコとは「ヴェネツィアの」という意味の形容詞である。クレタ島は17世紀の中頃以降オスマン帝国の支配下に置かれ,1913年にギリシャに統合された。波止場にはトルコ人が17世紀末に建設したモスクが残っている。1941年にナチス・ドイツ軍の爆撃でハニアは大きな被害を受けた。1971年にその座をイラクリオに奪われるまで,ハニアはクレタ島の首都であった。

とりあえずワインを注文 午後,私たちは非常に時間をかけて昼食を取り,さらにカフェに移動してエーゲ海の休日を満喫した。港の周りの旧市街には数多くのタヴェルナが集まり,エーゲ海の典型的なリゾート地の景観を作り出している。その日はちょうどサッカーのワールド・カップの開催期にあたっていた。イングランド対チュニジア。イギリス人たちは大騒ぎであった。ホテルに戻って一休み。

ギターを弾く二人組みの男たち 深夜,再び旧市街に繰り出して,遅い夕食。港から少し離れた辺りにも雰囲気のよいタヴェルナがたくさんある。そのうちの一つ,専属の歌手のいる店でギリシャ料理を食す。食後,友人たちはギリシャコーヒーを初体験。

サマリア渓谷

最初の2kmはものすごい下り坂 3km地点 サマリア渓谷へ行くには,ガイド付きのトレッキング・ツアーに参加するのが一般的だが,KTELの定期バスでも行け,その方が安上がりである…ということは,ホテルに帰ってから知った事実である。私たちは何の疑問も持たずにトレッキング・ツアーに参加した。参加費は一人約4000円で,これに加えて渓谷への入場料と渓谷の出口からバスの待つ別の村までの船賃がかかる(約1200円?)。KTELの定期バスを使えば,おそらく半額ぐらいで済む。

ガイド付きのツアーに参加した場合の利点は,ホテルまでの送迎をしてくれることである。私たちの場合は,午前6時にホテル玄関前で待ち合わせ。KTELの方の利点は,出発時間を6時15分,7時30分,8時30分の内から選択できるという点であるが,できれば始発を利用した方がいい。 渓流 サマリア渓谷へのツアーバスは,イラクリオなど遠くの町からもやってくるので,遅くなればなるほど渓谷は混雑するという。サマリア渓谷の人気ぶりはちょっと異常なほどで,昼を過ぎた辺りになると一本橋のところで渋滞が起きるほどである。ガイド付きツアーの本来の利点である「ガイド付き」という点については,私たちがドイツ語をほとんど解さないためにまったく無駄になってしまった。ただ,ガイドの女性が,少しアフリカの血が混じっているかという印象を与える,色黒で細身の可愛いらしい若いギリシャ人で,その点がせめてもの救い。

渓谷の道はこんな感じで続く ハニアを出たバスはぐんぐんと高度を上げ,1時間ほどでオマロス台地に到着する。ここにタヴェルナがあるので,ホテルで食べ損なった朝食をここで摂ることができ,また途中で食べるためのおやつの補給もできる。おやつは絶対に必要だと思う。私たちは高をくくってここで食料を購入しなかったため,谷底で後悔することになった。私たちはドイツ人観光客のグループに参加したのだが,ほとんどの人はソーセージなどを持参していた。

オマロス村を出ると,やがて渓谷の入り口にたどり着く(冒頭の写真)。時刻が早いこともあって空気はかなり冷たい。薄い上着を持ってくればよかったと思ったが,しばらく歩くうちに体も温まった。入り口から2kmほどはものすごい下り坂がくねくねと続く。 西欧の人々はなぜ肌を露出するのが好きなのか 道は渓谷の側面から始まり,まず谷底まで一挙に下るのである。私のように何年も山歩きをしていない人間にとって,この2kmはかなりつらかった。私のひざはすぐにガクガクとしてきた。もちろん,客観的には,この渓谷歩きは難しい部類にはまったく入らない。家族連れもいたし,老夫婦もいた。しかし,甘く見ていてはいけない。

木々 谷底に着いて少し楽になる。多少の起伏はあるが,基本的には歩きやすい道が続く。林の中を行くので,さほど暑くもならない。谷底には小さな川が流れていて,道はその左右を行ったり来たりする。橋の架かっているところはほとんどなく,石を伝って川を渡る。川は途中で地中に潜り,下流で再び地表に現れる。時々,川のほとりで休憩し,足を川の水に浸して疲れを取る。

10時を過ぎる頃から気温がぐんぐんと上昇し,体力の消耗が激しくなる。次第に木々がまばらになり,日陰を見つけるのが難しくなっていく。太陽光線は刺すように強烈で,肌を焼き,瞳を煎る。道端に置いてある標識はスタート地点からの距離を示している。これを見つけるたびに少し元気が出るが,あと何km残っているかを計算すると再び疲れが戻ってくる。7kmほど歩いたところで比較的大きな橋にぶつかり,それを渡ってサマリア村に入る。ここは現在廃村になっているが,国立公園の管理事務室があり応急手当の用意もされている。私たちはこの辺りで急速に空腹を覚え,もしかすると何か売っているのではないかと期待したが,期待外れに終わった。うまそうに何やら食べているドイツ人たちを横目に私たちは先を急ぐことにした。 歩きにくい…

この辺りから道が狭くなる アテネの旅行代理店の人が私に与えた注意は,帽子と水を持っていくのを忘れるなということであった。帽子は確かに必要である。しかし,実は道の途中に何個所か泉の湧くところがあり,空いたペットボトルがあればそこで水を補給しながら行くこともできる。何か食い物を持っていけという注意をしてくれたらよかったのに。(注意:もちろん,外国で生水を飲むことは原則的には薦められないので,水を持参するに越したことはない。)

渓谷歩きを共に経験するハイカーの数が多いのは,多少興趣を殺ぐところがあるのは否めないものの,何度か追い越したり追い越されたりするうちに顔見知りができ,気持ちの交流のようなものさえ生まれてくるのは面白いことである。私たちの好奇心を特に引いたのは,一組の老夫婦と,(私の意見では)新婚旅行に来ている一組の若いカップルであった。老夫婦はこういう山道を歩き慣れているらしく,速度は遅いものの確実な歩みで私たちを追い越していったが,そのすれ違いの時に私の友人が写真を撮ってあげたので私たちの記憶に残り,夜になってもう一度ハニアの町で偶然に出会ったことで,記憶に刻まれることになった。 興味深い地形だ

若いカップルが私たちの関心を集めたのは,彼らが腕と足に極めて印象的な刺青をしている点としばしば離れ離れになって歩いている点であった。旦那の方は奥さんがずっと置いてきぼりになっているのにずんずんと歩いていってしまうし,休憩所でもなぜか別々のベンチに座るので,私たちは気が気ではなかった。すわ「フランクフルト離婚」かと思われたが,帰りのバスの中で観察したところでは,まあ,ちょっと個性的なカップルなのだという結論に落ち着いた。どうでもいい話だが…。

ここがサマリア渓谷の最も狭いところ サマリア村を過ぎると,いったん広々としたところに出る。ここからがサマリア渓谷のハイライトである。両側の岩壁はほとんど垂直に切り立ち,高さ300mにも達するという。潜っていた川が再び現れる。岩肌が美しい縞模様を露出させ,その下で清流が音を立てる。岩壁と岩壁の間の幅は急速に狭くなっていく。峡谷の最も狭い部分では岩壁すれすれに渡された非常に狭い板の上を歩いて進む。この辺りから,下から登ってくるハイカーたちに頻繁に出会うようになる。この板の上には一人ずつしか乗れないので,反対から来る人が通り過ぎるまで待たなくてはならない。8月のハイシーズンにはどんな状況になるのであろうか。

アギア・ルメリ村 この峡谷のもっとも面白い部分は1kmほどで終わり,やがて川床が広がり始める。何という名前の花か,濃い桃色の花がそこかしこに咲いている。時刻は1時に近い。日陰の全くない,埃っぽい道をとぼとぼと行くと,渓谷の出口に着く。出口のところでオレンジ・ジュースなどを飲ませる店があったが,私たちは我慢した。実はここから港のある村までは3kmほどあるのだが,500mほどでしかないという誤った考えを私たちは抱いていた。

タヴェルナにて 港 2時頃,目的地アギア・ルメリ村に到着。倒れ込むようにしてタヴェルナの椅子に座り,「とりあえずビール」を注文。その後,私は港の横の海で一泳ぎしようとしたが,水に浸かった途端に体中の筋肉が痙攣するような気がしたので,数秒で上陸。これが私のリビア海体験となった。3時45分の船に乗って,海岸沿いにスファキアへ行き,ここでバスに乗り込む。ミシュラン・グリーンガイドによれば,スファキアは「快適なリゾート地」であるという。ここで一泊するのもよい考えであろう。ところで,スファキアからハニアに向かう道路沿いに結構な景色が見られるので,バスの中で眠りこけてはいけない。できれば右側の座席を確保して,ミシュラン三つ星の眺望をがっちりと楽しむこと。

最終日

レティムノのヴェネツィア時代の城塞 クノッソス宮殿 水曜日。クレタ島に来て3日目。もうアテネに帰る日である。船はその日の午後7時15分にイラクリオから出る。私たちはレティムノにちょっと寄って,イラクリオに行き,クノッソス宮殿を見て,考古学博物館を見学するという強行スケジュールを立て,その通りに実行した。予想通り若干無理な日程で,私たちは疲労困憊した。私はイラクリオをすでに訪れたことがあるので,レティムノをもう少しゆっくり見たかった。イラクリオでもう1泊する計画を立てれば,それが可能であった。私たちは日曜日の夜にピレアス港を出て,木曜日の朝ピレアス港に戻った。


黒田努 (1998.06.21)